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デスク記事

2011/05/08

 東日本大震災で、過酷な避難所生活を送る人びとの様子がテレビで紹介されていた。「もう限界です。早く仮設住宅を」「全てを失いましたが、明日をも失うのではないかと…」と悲痛な気持を語っている。しかし周辺で遊ぶ子供たちの表情は、不自由さなど微塵(みじん)も意に介していないように、一見明るい▼私はその時、フッと幼年時代の自分のことを思い出していた。5歳の時、大好きな2つ上の姉を失った。肺炎をこじらせての、あっけない死だった。父が結核で入院していたため、生活費を稼ぐため長期に渡って家を空ける日々、姉はいつも私を気遣ってくれた▼雨の日の、葬儀場に向かう情景が鮮明に浮かんでくる。私は列から外れ、道端に咲いている花を摘んだ。足元にも、遠くにも、その花はたくさん咲いていた。私は夢中で、名も知れない花を抱えていた。花を摘んでいる間は、姉の死を感じないで済んだ▼あの時母は、何も言わず黙って私を自由にしておいてくれた。母は分かっていたのかも知れない。そうすることで、悲しみを共有していたのだろうか、あるいは私の行為を自分に置き換えていたのだろうか▼避難所で笑顔さえ浮かべ遊ぶ子供たちを見て、私は幼年時代の、あの日の光景が蘇(よみがえ)ってきた。泣くなり、叫ぶなりして、胸の中の固まりを吐き出してしまいたい。そこでそれが出来ない時、子供たちは本能的に別な形で放出し、心を抑えているのだ。避難所の子供たちの、笑顔の陰に隠された真の悲しみが、途方もなく大きいことを周囲は知っているのだろうか。