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デスク記事

2011/05/11

 放浪の作家「林芙美子」は、貧困の代名詞のように思われているが、そんなことはない。東京の西部新宿線の中井駅近くにある「林芙美子記念館」は、彼女が昭和16年に土地を購入し、趣味を活かして新築した立派な家屋だ。ここで他界するまでの10年間、生活した▼代表作「放浪記」の書き出しは「私は宿命的に放浪者である。私は故郷を持たない」である。私生児として生まれた彼女は、その人生の多くを旅で過ごした。しかし人気作家だったため、収入はそこそこあったようで、お金が入るとまた旅に出た▼その男性的な、しかしその中に時々淋しさが顔を出す文体が多くのファンの共感を呼ぶ。放浪記の中にこんな表現がある。「五月故郷から手紙がきて、ぶらぶらしていないで一度帰って来い≠ニある。五円の為替も一緒だ。ありがとうございます。私は情けなくなって、遠い故郷に舌を出した」▼以前は何も感じないで読み過ごしたこの一文。しかし今回は少し違った。平成の今、東北の海岸地域に住んでいた多くの方は、一瞬にして命を、家族を、家を失い、また原発により住み慣れた故郷を離れている。心を残し、涙も枯れ果て、それでも心は故郷から離れない▼薄幸の作家と思ってきた林芙美子だが、彼女には「故郷はない」と言える故郷があった。そして母から生活費も送られ、上野の鐘の音を聞きながら食事をした。自由に生き、それを好きな小説にして放浪の資金を得た。彼女には、舌を出す程有り難い故郷があったのだ。被災者とは次元が違いすぎる。