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デスク記事

2011/06/08

 円満寺の橘有三氏が4月、東日本大震災の被災地をまわり、各所で死者を追悼した。宮城県・石巻の大川小学校も訪ねた。ここでは児童108人のうち7割が波にさらわれた。橘氏は「残念なことは、ここは海から遠く離れていて、津波が来るまで相当な時間があった。的確に避難をしていれば、助かった命は多い」と▼橘氏はさらに「学校のすぐ裏に丘があって、そこへはすぐに避難出来たはず。丘に逃れた児童が助かり、小高い橋の方向に避難した児童、教師が流された。現地を訪れ私が思ったことは教職員の一定数を地元出身者から採用する地元枠を設けてはいかがか≠ニいうこと。危機の時だけでなく、地元を肌で知っている職員は必要と思う」と話している▼大川小学校では今、父母と教委、学校側とで当時の状況について話し合いが行われている。父母は「避難開始まで40分以上かかり、もっと早ければ助かったはず」と学校側の危機管理の薄さを指摘している▼津波という悲劇のあと、今度は人間同士の責任論争。しかし教育現場の責任と同時に、父母もまた危機感が薄かったのだ。命は、全体で守らねばならない。事故が起きてからの悪者探しは如何なものか。未来ある子供たちを守れなかったのは、大人全体なのだ▼橘氏の言うように、地元出身の教職員は、地元の過去の津波や歴史人間関係などを肌で知っているだろう。郷土学習は子供たちにとって大切だ。全国各地でそれが行われれば、やがて大人になった時、それが均衡ある地域育成にもつながる。大震災の教訓は多々ある。