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裁くのも人、それを受けるのも人。人と人との間に尊厳という面で差異はないけれど、法を司る人の裁定は、受ける人を服従させる。では法は絶対なのか。否、そうではない。事実、法を支配し、人の人生を大きく左右させる裁判官でさえ、その判断は全く異なる場合は多々ある。法はアバウトなもの。それを忘れてはならない▼法は、人間社会の森羅万象、全てを網羅するものではない。人の感情、起きた事実、その背景、経過、複雑な事情など、現実は表面に出てきたことより、もっと不透明な因子がからみ合っている。法はそれらを全て拾うことは出来ない。法は目の粗(あら)い網のようなものと心得るべきだ▼安養園の民間移管をめぐって、札幌高裁は「紋別市長の裁量権の逸脱、乱用」と判断した。しかし最高裁は「公権力の行使には当たらない」と判断し、市側が逆転勝訴した。最高裁の判断は最終的なもの。安養園をめぐる争いは法的には決着した▼最高裁だからその判決が正しいのか、札幌高裁だから劣るのか、そんなことは裁判所の高低に関係はない。法治国家で、その法を以(もっ)て人の運命を左右させる裁判官に、原則的には法の解釈に大きな差異があってならない。しかし、それも人間の成すこと。違いは生まれる▼ひるがえって、紋別的に見れば何が問題なのか│。最高裁の判決が市側を勝訴させたとしても、安養園の移管を巡る訴訟が、何故かくも長き法廷闘争になったのかーが問題なのだ。勝訴したから勝ったのではない。その過程を謙虚に振り返り、次に活かす姿勢こそ最も大切なことだ。