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「国の責任で」という言葉が、震災後多く聞かれる。地震と津波、それに加えての原発事故。そこから派生する様々な問題は、国が乗り出さないと前進しないものが多い。しかし、だからと言って国が全ての責任を背負い、予算化すれば国は財政破綻を起こす。国に打ち出の小槌がある訳でなく、必然的に国民の支出に繋がる。政府が考えている「復興債」10兆円は、臨時増税でまかなうものだ▼日本が崖っぷちに立ち、さらに足元が崩れかけている現在、国民がここ一番の踏ん張り≠しなければならない。それを国民は覚悟し、今後最大限の努力を惜しまないだろう。だからこそ大切なことは、国民を納得させ努力させる、確固たる国の長期計画が必要だ▼それより大切なことは、一人一人が自分には何が出来るのか。国に頼りすぎることは止めよう≠ニいう気概だ。憲法第25条に明記してある「すべて国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有す」とあるのは、国がそれを保証するという意味ではない。国や法律が自分を守ってくれる、と考えるのは見当違いなのである。作家の五木寛之氏は「人は裸で世の中に放り出された存在に過ぎない」と言っている▼放射能汚染牛*竭閧焉u安心して食べられるよう、国は責任をもって…」と言う人が居る。牛肉に限らず絶対安心なものなんて、ないと思った方が良い。日常の食品添加物などを含め、身の回りには危険がいっぱいある。それにどう対応し、日々を過ごすか、それは個々に委(ゆだ)ねられたこと。自立心こそ、今の日本人の課題だ。