←前へ ↑一覧へ 次へ→

デスク記事

2008/09/16

 作家・五木寛之氏は生きる≠ニいうことについて「生きていれば何かに気づく。それは、自分の中に存在しないものが、天啓のように高いところから降ってくるわけではない。自分の中に、以前からずっとあったものに気づく≠ニいうことだ」と話している▼さらに「人生の意義というものも、生きていればきっと気づくようになる。だから理屈など言わず、生きていれば、きっと何かが見えてくる」と言う。また「土に親しみ、働き、長生きをしているお百姓さんの話を聞いて、自分にとっての畑とは、マスコミなんだ、と思うようになった」と語っている▼入院中の友の病気見舞いをした。一方ならぬ世話になっている友である。普段から他への気配り、面倒見の良い彼は、他から愛され、友も多い。病気などには縁のない人と思っていたので、ベッドと彼は似合わないような気がした。しかしその姿が、ある意味、人間の本来の姿とも思えた。もっともつらいとき、弱いピンチの時は、人は誰でも常に孤独な戦いをするのだ▼2年前、私も扁桃腺で緊急入院した。ノドがふさがりそうで、医師から「死はすぐ目の前だよ」と言われ、1週間ベッドに居た。そんな時は、人間いろいろな事を考える。そして、自分にとっての畑≠ニは何か。それは今まで生きてきた中で育ってきた感性、個性を、それが乏しいものであったとしても文章で表現することだと思った▼友は、まだ熱が下がっていなかった。それでも、私の書く≠ニいうことについて、色々とアドバイスをしてくれた。いつ、どこに居ても優しい人である。健康への戦いの中で、彼は何を思っているのだろう。もしかしたら、自分の畑≠ニは何か、考えているのかもしれない。