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デスク記事

2011/09/14

 最近「理念」「任命責任」という言葉が、政治の舞台で多く使われる。野党の「マニフェストは破綻した」の意見に対し山岡消費者相は「子供手当など、民主党のマニフェストの理念は変わらない」と、盛んに「理念」を強調する。理念という概念は、哲学者・プラトンに由来し、後の哲学者により解釈が変化した。しかし通俗的に言えば「全ての事象の根底にある、根本的な考え方」の意味であろう▼従って、国の安定、国民の生活向上の政治理念は、政党によって個々別々であるはずがない。違うのは「手法」である。マニフェストは手法であり、理念ではない。双方を同一として論議する不毛の論議が、続いている。山岡消費者相が盛んに「マニフェストの理念は変わらない」と言うのなら、悪質商法を監督する立場にある山岡消費者相がマルチ商法業者から献金を受けていた事実をどう説明するのか。「それは過去のこと。政治理念は変わらないから問題ない」とでも言うのだろうか▼野田総理の「任命責任」が問われている。原発関連で不適切な言動をして辞任した鉢呂経産相について、平たく言えば「そんな不適任者を何故大臣に任命したか」という責任論である▼それは野田総理の問題ではなく、鉢呂氏個人の資質の問題であろう。失言をした大臣との連座制を要求するのは、野党の党略である。そんな足の引っ張り合いが以前から延々と続いている。今はそんな時ではない。戦後最大の国難の時に、その自覚なしに、国難を党略に利用するような政治家なら、即刻バッジを外してはいかがか。もっとも、その知恵もないであろう。