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デスク記事

2011/11/19

 「全町民、全地区が一丸となって、震災で失われたまちをもう一度取り戻そう。将来にわたって誇れるまちを創っていこう」│。東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県・山田町の復興計画がまとまり、私の手元に送られてきた。約千人の死者、行方不明者を出し、まちの建物の多くが破壊された山田町。しかし町民は涙をぬぐい、復興への歩みを始めた▼「基本理念」の最初の文章に「未曾有と言われる今回の災害だが、明治三陸大津波で3千人の命が奪われるなど、今まで幾度となく耐えがたい経験を積み重ねてきた。今回の大津波が未曾有とは決して言い切れない」とある。そして「過去の経験をもとに大規模な堤防を築いてきたが、今回の津波はその堤防をいとも簡単に越え、多くの人命と財産を奪っていった」とある▼その現実を基に、復興計画の3大目標は@2度と津波による犠牲者を出さないA産業の早期復興と再生、発展B住民が主体となった地域づくり│である。そして「まちの姿が大きく変わっても良い。しかし住みやすい、働きやす郷土を築いてゆこう」と、強烈な意志で立ちあがる山田町の覚悟が盛り込まれている▼この計画はA4版で50ページ。マチの復興に向けて並々ならぬ決意がにじみ出ている。そして、計画の多くが大規模津波の防護に費やされているなか、少しホッとする計画も含まれている。それは「鯨(くじら)と海の博物館」建設。未来への希望を感じさせる計画である。絶望の淵から立ちあがって、山田町は今、未来の希望に向かって歩み始めた。