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デスク記事

2011/11/23

 東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県・大槌町と山田町、それに釜石市に行って来た。発生から3回目の現地入りだったが、9月の時に比べ瓦礫(がれき)の撤去は大幅に進み、市街地は建物の土台だけになっていた▼その瓦礫は遠く離れた河原や広場に集められていたが、分別がキメ細かく行われ、木材はチップにされたり、金属類はつぶす≠ネどされ保管場所を有効に活用していた。これまで、自衛隊を始め多くのボランティアなどの手がかけられてきた。まだまだ手つかずの場所もあり、見方によっては「8ヶ月経っても、まだこれだけ」と言う人も居るだろうが「良くぞここまで」とも言える。膨大な瓦礫の山を見るとき、私は日本人の努力に素直に感動した▼建物が撤去された市街地には、空間だけが残った。地元の方に「ここが一番の繁華街でした」と言われる場所も「ここは郊外です」と言われる所も、すべて同じに見える。建物の土台の多さだけが、それを判断する唯一の手段だ▼美しい大槌町の海岸に「浪板観光ホテル」という、地域の中心的なホテルがある。建物の外観は以前のまま美しく残っているが、2階部分まで破壊された。そこの若女将も流され、今も行方不明だ。私の滞在中、彼女の「しのぶ会」が開かれた。「そろそろ供養したい」と多くの知人が集まり、思い出を語り合った。そんな会合≠ェ今後、多くなってゆくだろう。この日、快晴の空と、美しく輝く三陸の海。牡蠣(カキ)の養殖も再開されている。悲しみを胸にしまいながら、みんな立ち上がっているのだ。