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デスク記事

2011/12/15

 手のひらの一個の石。池澤康夫さん(オホーツク・サロン)が鴻ノ舞の川で最近見つけた金鉱石である。「見てみなさい」とルーペを貸してくれた。そしてそこに、無限の広がりがあった。天の川のような、点滅するシャンデリアのような、複雑な陰影をたたえる鉱石から、チカチカ、ピカリと放たれるヤマブキ色の輝き▼途方もない長い時間を、金は鉱石と共に過ごしてきた。鉱石に抱かれてこそ存在した金の輝きは、遠い昔から今に至るまでの、分厚い時間を光に替えて放出しているようだ。美しい≠ニ言うより荘厳=B神秘的であり、金の生命力さえ感じる▼「やはり野に置けレンゲ草」という言葉がある。野に咲く花を摘んで家に持ち帰るより、野に咲いてこそ美しい≠ニいう意味である。周囲の風景、風、土地などと共生して、その花はそこに生きているのである▼「金」には、貴重で高価なもの│というイメージがある。有史以来、国家の富の象徴であり、装飾品としても特別な存在。金への憧れは誰にもあるだろう。しかし、この小さな石の中に輝く金を見た時、重々しい金の延べ棒や装飾品より、確実に美しいと思った▼それは何故だろう。石の中に点在する金は、人の手の及ばない自然の佇(たたず)まいの中にあり、超然とした美しさにあふれている。人工的に抽出され、加工された金は人間の役に立つ金属として貴重だが、生命力が乏しく思える。存在感を示す石の中の金は、さらにこれからの長い年月の延長線上にある。かつて東洋一の金山だった、紋別の誇り鴻ノ舞は「間違いなく生きている」と思った。