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デスク記事

2011/12/22

 教会の司教・ニコラオスは、貧しさのため娘を身売りさせようとしている男のことを知った。ニコラオスは真夜中、その家に行き、煙突から金貨を投げ入れた。暖炉には靴下が下げられていて、金貨はその中に入った。金貨のお陰で娘は幸せになったという▼ニコラウスは無実の男を死刑から救うなど、聖人として民衆から尊敬され、聖(セント)ニコラオスという称号となり、オランダ語では「シンタクラース」と言う。日本語で言う「サンタクロース」は、ここから来ている言葉。プレゼントを靴下に入れる習慣も、金貨の入った靴下から生まれている▼サンタクロースをいつ頃まで信じていただろう。多くの人は小学低学年の頃までだろうか。「いや、私は中学になっても…」と言う人も居るだろう。しかし、サンタクロースは確かに存在する。子どもを思う父の心に、母の眼差しの彼方に、サンタクロースは居るのだ▼子どもだけでなく、大人へのサンタさんも間違いなく居る。厳しい時代に、めまぐるしく変化する不確かな今の社会。大人も心の安定を失っている。何を信じ、どこに希望の光を見るのか。それが困難な時代だ。しかし、そんな時の今一歩の勇気≠アそ、それぞれの心の中に住むサンタさんだと思う▼震災被災地・岩手県大槌小学校の仮校舎の花壇の立て札に、子ども達がこんな言葉を書いていた。「友達も流され、そして何もなくなった。でも人の優しさはもっとある」。この言葉こそ、地域の人に届けられるサンタさんからのプレゼントではないだろうか。サンタさんは、間違いなく実在する。