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人の一生は光と陰の繰り返し。喜びより悲しみの方が多く、その喜びもすぐ消え去る、ひとときの幻かも知れない。でも、本当にそうだろうか。多くの人は、多くの場合「光」の後に来る「陰」の部分に、人生の厳しさを重ねてしまうのではないだろうか▼年末になると、俳人・小林一茶の句を思い出す。「ともかくも、あなたまかせの、歳の暮れ」。一茶は我が子2人を幼くして失った。その悲しみを、自分の意志だけでは克服できず、仏に救いを求めた。あなたまかせ≠ニはそういう意味である▼病に伏している人が居る。せめて正月だけでも我が家へ│と、数日の帰宅を許される方も多いだろう。ひとときの、心の安住を求めて我が家に帰ることは、せめてもの願いかも知れないが、しかしその方にとっては、大きな大きな意味を持つ▼人は誰もが弱者になってゆく。強大な権力を持った人でも、いつか誰かの手を借りなければ、自分だけでは日々を送れなくなる。全ての人に公平なのは、確実に過ぎてゆく時間と、生命の終焉である▼「人生とはおもしろいもの。何かを一つ手放したら、それよりずっといいものが、やってくる」(サマセット・モーム)。いいものが何か、人それぞれだろうが、弱くなった時、きっと人の情けや温かさを、普段よりずっと強く感じられるのではないだろうか。そう感じることは、人生の光の部分とも言えよう。病んだ時でも、今まで以上に幸福感を味わえる。その人の心の在りようで、喜びは数倍になって自分のものになるのではないだろうか。