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結果が出てから人は気づく。しかし結果の手前で気づき、対応する事は非常に難しい。誰かが困っていても、あるいは死の直前に居ても、多くの人は切羽詰まった状況とは見なさないもの。あるいはかかわりたくない≠ニいう意識が働き、手を差し伸べたり、気にかけるようなことから遠ざかる▼札幌白石区の40歳代の姉妹が死亡した。知的障害の妹を守って、懸命に働き続けた姉が、脳出血で死亡した。残された妹は姉の異常を感じたのか、助けを求めるため電話をした。「111」の記録が残っていたが、警察か消防に助けを求めたと推察される▼「お客様の電話からはおつなぎ出来ません」という返事が返って来た。それを聞いた妹はどんな気持だっただろう。電気も暖房も、食べ物もなく、真冬日の続く中で、妹は寒さにこごえ、餓死した。限りなく孤独な姉妹。最後の最後まで、他からの声を聞くことはなかった▼発見され、一般市民が集会を開き、市役所の冷たさを糾弾した。報道関係者も、市の対応に疑問符を掲げた。担当の市職員は「申請して来ない限り、姉妹への対応は出来ない」と、冷静に語った▼集会を開いた市民も、報道者が行った市職員への取材も、それらは全て結果によるもの。もし、この悲しむべき事件の時計を戻せたとしても、きっと同じような結果が生じる気がする。他の異常を感じても、対応しない理由を探す。その異常を、正常に戻ると思いたがる。そして多くの人は、結果が出てから他を糾弾する。結果を見る前の段階で、結果を予測して行動に移す人は非常に少ない。残念ながら。