デスク記事
人間、時にはユックリと自分のことを考える時間を持ちたいもの。日々の生活も結構忙しいためか、あまり自分のことを考える機会は少ない。3日から9日まで米国シカゴに行くことになり、成田からシカゴまで約13時間の空旅を「考える自由時間」とした▼今まで機内での時間つぶしは、読書やテレビ、大好きな落語を聞いたりしていた。また新聞を隅から隅まで全て読み終えるには10時間以上かかるので、私にとって機内での長旅はあまり気になるものではなかった▼今回は、ただひたすら、自分が今まで過ごしてきた時間や、これからのことに思いを巡らした。いわば自己本位の時間≠ナある。過ぎ去った日々の中から思い出を拾って行くと、今まで気が付かなかった事などが次々に浮かんで来る。あの時、こっちの道を選択していたら∞あの時の人は今どうして…≠ニ、脳裏をよぎる出来事から、どんどんと思いが深まって行く▼「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」とは、松尾芭蕉の奥の細道の文章である。月日という時間は永遠に旅を続け、来ては去り、去っては来る年月も、また旅人と同じ│と言うような意味である。であれば、人生は旅人。去っていった過去も、これから来る未来も、旅人という大きな流れの中に含まれるのだろう▼思考を繰り返す単純な作業だが、長い人生の僅か十数時間の自由な時間。しかし過去から近未来にかけての人生の、その殆どをこの中に閉じこめることが出来た。一生のストーリーの短さを感じ、時にはこんな時間を持つのも良いものだと思った。