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早春を告げる「福寿草」は、以前より姿を見せなくなったように思う。周辺の開発が進み、福寿草の咲く場所が少なくなってきたためだろうか。それでもこの時期になると、福寿草の便りがあちこちから聞こえ、春の到来≠告げている▼福寿草の花言葉は「幸福」「回想」のほかに「悲しい思い出」と言うのがある。多くの花は、幸せを呼ぶ表現がついているのに、何故福寿草は「悲しい思い出」という、ちょっと悲劇的な表現が成されているのだろう▼福寿草は江戸・元禄時代から縁起の良い野の花として、飾り物にも使われていたという。古い時代から庶民の中に浸透していた花だったようだが、家の庭で栽培するような身近な花でなかっただろう。それが縁起物になるのは、きっと雪の下でも花を咲かせる力強さが、人の心を捉えているからではないだろうか▼詩人・金子みすずの「花のたましい」という詩。散ったお花のたましいは、み佛さまの花ぞのに、ひとつ残らずうまれるのだってお花はやさしくて、おてんと様が呼ぶときに、ぱっと開いてほほえんで、蝶々にあまい蜜をやり、人には匂いをみな、くれて風がおいでと呼ぶときにゃ、やはりすなおについてゆき、なきがらさえも、ままごとの、ごはんになってくれるから▼しかし多くの福寿草は、その存在さえも知らることなく、蝶が寄ってくる訳でもなく、雪の冷たさを寝床とし、ままごとのご飯になることもなく、ひっそり静かに散ってゆく。「悲しい思い出」という花言葉が、似合うような気がする。