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一昨年、インドネシアのスマトラ島のジャングルを歩いた。夏の暑さが厳しく、脱水症にならないよう飲み続ける水が、すぐ汗になって出てきた。早朝出発し、午後に帰還するハードな行程だった。山小屋に帰ってきたとき、心の底から達成感が沸き上がってきた▼まだまだやれる≠ニ、ある種の自信がつき、次の目標を定めた。しかし、そこで気づいた。まだやれる≠ニいう思いは、確実に衰えて行く体力を、まだ認めたくないという、現実をねじ曲げた考えだと▼新潟から名古屋に向かう飛行機から眼下に見た白馬岳は、貴婦人の美しさを見せていた。そこから連なる北アルプスの姿は、自然が好きな私に「一度は行ってみたい」と思わせる魅力をたたえていた。この山で、連休中に悲劇が起きた▼遭難し、死亡した人達は高齢者だった。軽装備で、まるで死に向かうような登山だった。医師など、常識をわきまえているはずの人たちだった。「何故ハイキングに行くような姿で?」の疑問は多々ある。しかし、その根底にあったのは、年齢に逆行する「根拠のない過信」だったのではないだろうか▼危険を予感して退くことの出来る人は、心に余裕のある人。危険を突破することで自己を保とうとする人は、すでに正常な判断が出来なくなっている。年齢の高い方の、陥りやすい傾向と言えないだろうか。まだまだ≠ニ思いたい心理が、無理を押しのける行動となり、危険に落ちてゆく。自然の中では全ての人間は抵抗の出来ない小さな存在。「退く」という決断こそ、かろうじて踏みとどまれる唯一の知恵であろう。