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18歳、無免許、居眠り運転、暴走、そして登校途中の子供の列に突っ込んだ。8歳の女の子と妊娠中の若い女性が死亡、2人の児童が意識不明(後に1人死亡)の事故だった。重い罪が課せられると、誰もが思った。しかし京都地検は刑の重い「危険運転致死傷罪」を適用せず、より軽い「自動車運転過失致死傷罪」にした▼法律家によると、例えば危険運転≠適用させるには「運転技術がない」ことが要件の一つと言う。しかし少年は、日頃から無免許運転をしていたため、地検は運転技術はある≠ニ判断した。おかしな理屈だ。それなら、事故を起こした時の自己防衛のため、無免許でも、普段から運転に慣れる訓練をしていた方が得≠ニ言うことになる▼法は人間社会の全てを包み込むことは出来ない。その意味で法は目の粗い網のようなもの。その穴を埋めるために法律家がいて、事案について人間の頭脳で解釈の幅を広げる。しかし京都地検の今回の判断は、一般社会の理解とはかけ離れていて、まるで人間の形をしたロボットが、法を駆使して加害者を有利にする知恵を絞ったようなもの▼死亡した8歳の少女は、病院で心臓の鼓動を2度取り戻し、懸命に生きようとしたという。妊婦は、とっさにお腹の赤ちゃんをかばった姿だった。加害者の少年は法により保護され、被害者、その家族の無念さは、法によりさらに深まった。テレビ出演の法律家は「この法律が一般の市民感情とかけ離れている事は明らか。整備が必要」と論評する。それなら、法の解釈はもっと人間的であって欲しい。多くの人がそう思っているのではないだろうか。