←前へ ↑一覧へ 次へ→

デスク記事

2012/06/13

 昔は室内の明かりを油に火を灯(とも)してとった。3本の棒を束ねて、その上に油の受け皿を置き、灯台とした。辺りは明るくてもその下は暗く、そこから「灯台下暗し」という言葉が生まれた。周辺の身近なことこそ、気がつかないものだ│という例えである▼食卓の一輪ざしに、線香花火のような、小さな色とりどりの花が飾られていた。名も知らぬ、それら可憐な花たちの、花弁の形、色彩などが鮮明に目に映る。1ミリ程の紫の花弁は、色彩が微妙に変化し、その表情は多彩だ▼雄蕊(おしべ)雌蕊(めしべ)の形も単純ではない。一輪ざしに身を寄せる数種類の花たちは、一本一本が見事な存在感を示していた。「こんな美しい花が、どこに咲いているの?」と聞くと、小学4年生の孫娘が「家のまわりにたくさん咲いているよ。さっき摘んできたの」と言う▼外に出ると、確かに家の周囲にはいろんな種類の、野の花が咲いていた。風に小刻みに揺れ、あるいは他の草の陰で、小さな命をつないでいる。その草をとってやると、光が当たって嬉しそうだ▼庭の薔薇(ばら)やシャクヤクなど、存在そのものが豪華な花たちには、雑草をとり肥料をやり、虫よけの薬も与え「大輪の花を咲かせよ」と、心待ちにしている。気にもかけなかった小さな花達の、何と健気(けなげ)なことか▼食卓には、一輪ざしと野の花が似会う。控えめに、何かを話しかけてくる空気感さえ感じる。花がそうであるように、山も木も、川も石も、そして人も…。この世に存在する全てのものは、それぞれの場所で光を放っているのだ。