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デスク記事

2012/06/30

 「残念ながら知事は公務で出席できませんので、知事からの挨拶文を預かって来て居ります。代読させて戴きます」│。式典などで良くある光景。しかし大抵の場合、知事が挨拶文を自ら書いて、代理出席の人に託すなどという、そんなご丁寧なことはない。それこそ公務多忙な方に、余程でない限り、地方の行事等も知らせる事は少ないだろう▼知事に限らず市長なども、祝賀の式典等で自分で原稿を書いて読むことなんか、あまりない。国会議員からの電報なども、本人が知らないうちに秘書が、あるいは現地の人が勝手に文章を作って読みあげるケースが多い▼目出度い席ならまだ良いけれど、葬儀の電報などは如何なものか。心のこもった文面。遺族にとって有難いかも知れないが、肝心の電報の主役≠ヘ電文も作らないし、葬儀自体知らない場合が多いだろう。仏の心を無視してはいないだろうか▼かく言う私も以前、何かの慶事の時に外国からの電報として勝手に文章を作って読み上げたことがある。有った方が形になる式典だった。しかし、それだけ重要な電報だからこそ、本物でなければならない。その場しのぎの偽(にせ)電報を、今は後悔している▼形式が偏重される今の社会。そろそろ軌道修正しては如何か。間に合わなければ、あるいは知らなかったら、後に慶弔の挨拶をすれば良い。何もみんなの前で読み上げるばかりが良い訳でもない。要は、最終的には当事者に届けば良いのである。「ああ、あれは作りもの」と分かっていながら許される社会は、矢張り間違っていると思うのだが…。