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「一身独立して、一国独立す」。国民1人1人が自身の考え方を持ち、信念で行動してこそ、国家が真の独立をする≠ニいう意味。明治の思想家・福沢諭吉氏の言葉である。この考え方は国だけでなく、地方自治体にも、時代を越えて通じる▼国民に対してさえ求められる思想。国家の運営に責任を持つ国会議員に対してなら、尚更求められる資質であろう。では、それが国民の目に明確に映っているのだろうか。多くの国民は「否」と言うだろう▼攻撃する時は何とでも言える。「反消費増税」「反原発」「国民1人1人のために」。誰も反対する人はいない。それを責任もって実行する道程で、多くの課題が生まれてくる。進むための障壁、退く時の矛盾。それに対する様々な反応がさらなる混乱を招く▼今の政治には、世の混乱を利用した、選挙狙いの行動が見え隠れする。攻撃するだけなら易いこと。しかし、さあ具体的な裏付けとなると、明確にされていない。理念と、それを達成するための説得力の両面を持たなくては、政党としての独立は無理であろう▼一身が独立していない政治家達が、一人の政治家に全てを預け、全ての行動をシンクロさせる。何10人いても、そこには1人の政治家の顔しか見えない。その中の議員は、数の中の1人でしかない▼民主党政権になってから、飽きもせず続いている政治の混乱は、ひとえに一身が独立していない政治家達に起因する。世界観はそっちのけ。国家も国民も、自身さえ見失っている議員集団に、これ以上日本を託すことは出来ない。早期解散、政界再編成が第一歩ではないか。