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埼玉市(旧大宮市)の公園墓地にひとつの石地蔵が建っている。その地蔵は、左手に従軍看護婦のナースキャップを持っている。
昭和16年に締結された「日ソ中立条約」を一方的に破棄し、ソ連軍が満州(当時・日本が統治)に侵攻した。昭和21年、すでにソ連軍の支配下にあった新京(現・長春)の病院で31人の看護婦が働いていた▼ソ連陸軍診療所から「看護婦3人ずつの派遣」命令があった。派遣は1週置き、3回行われた。ある日、一人の看護婦が全身から血を流し、逃げ帰って来た。かすかな意識の中から、驚くべき話をした「もう看護婦を派遣しないで…昼は過酷な労働、夜は慰安婦にされます」と言って息絶えた▼派遣の真相を知った看護婦たち。しかし断る事は出来ない。クジ引きで3人を選んだ。ソ連兵がジープで迎えに来る朝、病院には線香の香りが漂っていた。22歳から26歳までの看護婦22人が、手をつなぎ合い心中していた。全員が署名した遺書に「魂は永遠に満州に残し、日本人が再び戻って来た時、ご案内します」と書かれていた▼私の知人で、東京八王子市で病院を経営している坂本氏が、新京の病院の看護婦長から聞いた話である。坂本氏もまた、満州で小学5年生から12年間満州で地獄を体験して来た方だ。一家の逃亡途中2歳の妹が、母の子守唄を聞きながら栄養失調で死んでいった。
敗戦直後、満州に居た民間日本人は約110万人。そのうち約30万人が虐殺や病気で死んだ。坂本氏は「遠い異国で、ぼろ布のように命を落としていった、多くの同胞のことを伝えて行きたい」と語る。