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デスク記事

2012/09/02

 中学時代の恩師が一昨年、心筋梗塞で死去した。渡島管内七飯町で奥様と元気に生活していた。普段と変わりなく話をしていたが、急に黙りこくなり、意識を失い、そのまま帰らぬ人となった▼先日、奥様から電話があり、札幌の娘夫婦の元に越してきたと知らせてきた。私のクラス3年D組は毎年新年会を開き、先生の思い出など話しながら、交流を深めている。遠くから参加する旧友も居て、互いに楽しい時間を共有している。七飯町での葬儀には出席できなかったので、参加者を募って、札幌にお参りに行こうと思っている▼奥様は札幌での生活を語ってくれた。「七飯町では庭を楽しむことが出来たし、当たり前のように自然を楽しんでいました。札幌の私の居る所はマンションが林立していて、コンクリートの壁しかみえません。まして花など植える場所もなく、散歩に出かけても、舗装で固められ土を踏むこともありません」と声を落とす▼さらに「七飯町が懐かしいとか、戻りたいなど言う前に、豊かな自然に恵まれた場所での生活を味わってしまえば、都会の真ん中での生活は、慣れるまでかなりの時間が必要だと思います。七飯町にいた時、何とも思っていなかった土のある日々が、いかに貴重だったか…」と言う▼恩師は、紋別はもとよりオホーツク管内での教師生活が長かった。数年前、私たちのクラス会に奥様とご一緒に七飯町から駆けつけてくれた。その時「ここ(紋別)は最高だった。だから、教師人生も最高に充実していた。まるで昨日のことのようだ」と語ってくれた。