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私の友人の父が、自ら命を絶った。家族の知らない借財だけが残った。妻は気力を失い、私の知人ご夫妻だけが親族だった。2人は懸命の努力をした。誠実で、他に優しい、あまりにも真面目な2人である。不幸は重なるもの。ある日車に追突され、奥さんはムチ打ち症になった。2人は、その地を去ることを決心した▼彼等のような、心静かで仲むつまじく、友の心を癒してくれる人を、私は知らない。縁があって知り合った同士。会う機会は少ないが、少しの時間、少しの会話を交わすだけで、自然に心が安らいでいる自分に気づいた▼2人から「遠い妻の実家に行くことになるでしょう」と書かれた手紙で、その不幸を知った。私は会いたかったけれど、行くことをやめた。電話ではなく、手紙が来たことで、行くべきでないと判断した▼明治の文豪・森鴎外は、自殺についてこう述べている。「フィリップ・マインレンデル(ドイツの哲学者)は人は最初、死を遠く見て恐怖に面をそむける。次いで死の周りに大きい円を描き、震慄(しんりつ)しながら歩いている。そしてその円が小さくなって、とうとう疲れた腕を死の項(うなじ)にかけて死と目と目を見合わし、その中に平和を見出す≠ニ言っている。しかし私は、死を恐れもせず、憧れもせず、人生の下り坂を下ってゆく」と▼日本国内で、自ら死を選ぶ人は年間で3万5千人ほどいる。そして年々増加傾向という。戦後、物質では豊かになったが、それ故に人の心に迫ってくる孤立感、寂寥(せきりょう)感は、今の日本人なら誰もが抱いているものだろう。しかし、それに耐えることをやめた時、耐えながら懸命に生きている人に、突然の決定的な不幸を残すことになる。人は、自分の坂を最後まで歩むべきなのだ。