デスク記事
滋賀県・石山寺の鐘の音が聞こえる田園地帯に、私の実家はある。幼年時代、瀬田の唐橋を歩いた時、橋の朱の色よりなお鮮やかな赤トンボの群れが、夕焼けの空に溶け込んでゆくような光景が、記憶に残っている▼紋別も、以前はオニヤンマやシオカラトンボなど、多くの種類のトンボが飛び交っていた。紋別駅の裏の木材や石炭置場の広場に多くの水たまりがあり、そこに無数のトンボが集まっていた。指を立てるとトンボが止まり、閉じれば捕まえることが出来た▼いつの間にかトンボが少なくなり、あの美しいギンヤンマなどは、姿を見ることは少なくなってしまった。いなくなったことに慣れてしまっているが、改めて考えれば、これは寂しいことだ▼ゲンゴロウやタガメ、エビなどは、道路の両側を流れる下水にたくさんいた。エゾサンショウウオさえ悠然と泳いでいた。それが姿を消した。彼らの住める環境が次第に少なくなり、私たちの周囲から昆虫なども姿を消しつつある▼今の子供たちの多くは、歓声をあげてゲンゴロウなど捕まえた事はないだろう。それは悲しむべきことである。数十年の時間の経過で、私たちは子供や孫に残すべき自然遺産を、罪悪感を持たずに絶やし続けて来たのである▼以前、道立近代美術館に行ったとき、日本画家・岩橋英遠の「道産子追憶」という作品を見た。四季の移ろいの中、秋のテーマは赤トンボ。夕焼けの空に、無数に飛翔する光景は、幼年時代の「朱」の記憶を蘇(よみがえ)らせてくれた。その絵が複製で売られていて、迷わず買い求めた。遠い時代が、すぐそこに在るようだ。