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「末は博士か大臣か」│。子どもたちの将来に夢を託し、周囲がさらなる努力を期待した言葉だ。以前は良く聞かれた。しかし最近は死語に近い。大臣の地位に夢を抱くには、昨今の大臣の質は下落し、色あせて見える。就任期間が異常に短期間。何も出来ないのも当然だ。さらに資質に欠ける名前だけの大臣。国家、国民のためでなく、政党のお家事情が優先する体たらくだ▼「理屈と膏薬(こうやく)はどこにでもつく」という諺(ことわざ)がある。田中慶秋法務・拉致担当大臣の辞任は、まさにこれ。「体調不良」を理由にするが、暴力団関係者との交際、外国人からの献金によるものである事は明らか。実際は辞任ではなく更迭(こうてつ)である▼藤村官房長官は記者会見で、体調によるものだと説明し「残念ながら」とも言った。実際は残念ではなく清々した≠ニ言うのが正直なところだろう。就任から僅か3週間。兼務した「拉致担当大臣」では、拉致被害者の名前も知らない大臣という▼田中氏個人のことはどうでも良いが、問題は、拉致問題に身を挺して努力し、被害者家族から信頼の厚かった松原仁氏を田中氏に交代させたこと。原発問題に情熱を傾けた細野豪志原発担当大臣を、その任から外したこと。両ポストは長期に渡って担当すべき部署である▼党内事情優先、国家、国民不在の人事であることは明白。それを尤(もっと)もらしい理由をつけて説明する。国民はその軽薄さに呆れている。政治不信、政治離れに拍車がかかる。塗りつける膏薬の位置さえ分からず、課題を残す内閣に、信頼は持てない。