デスク記事
数十年前まで、停電は日常茶飯事だった。紋別市全戸だったり、特定の地域だったり、または自分の家の周辺だけが停電になって、その都度北電に「いつごろ回復しますか」とダイヤル電話で確認をとった▼各家庭でロウソクは常備品。停電に備え置き場所を決めていた。当時は石油ストーブでなく薪(まき)や石炭が暖房の主役だった。だから停電になっても暗いだけで、生活に重大な影響は少なかった▼先月27日夜半から30日にかけて、登別や伊達市など17市町村で5万6千戸が停電し、寒さをしのぐ300人が避難所で過ごした。車で暖をとる人も多かった。死亡など重大な事故にならなかったのは幸いだった▼長時間の停電など考えられない今の生活。その想定外≠フことが現実のものになった。しかし考えてみれば、送電線の鉄塔が倒れ、電気が送られなくなる事態は、いつ起きても不思議ではない。電気は当然≠ニいうのは漠然とした思い込みなのだ▼以前は、数日ごとに煙突掃除をした。冬に備えて薪割りもした。暖をとるためには、今より随分努力が必要だったが、停電になっても暖房に不安はなかった。ストーブの上で煮炊きして食事の用意も出来た。今と比べれば手間のかかる事が多かったけれど、その分利便性もあった▼便利の陰にある、普段は意識しない落とし穴。電力が主体の今の生活で、それが絶たれると命の危険さえ生れる。回復した電力に「電気ってこんなに有り難いものだったんですね」。事故が起きれば、そのことに気づき、そして、すぐ忘れてしまうだろう。