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東日本大震災から明日で2年。地震、津波、原発事故と3つの大災害が重なった現地は、未だ仮設住宅から出られない人、知人を頼り移住して、いつ故郷に帰って来られるか分からない人達、生活が成り立たず途方に暮れている方など、まだまだ復興には程遠い▼震災後3度現地を訪れた。行く先々で聞く話は極限の悲劇、苦悩、不安に満ちていた。そしてそれは現在も変わらず続いている。9日、盛岡の知人からメールが届いた。それは、女の子の赤ちゃんを津波にさらわれた、陸前高田市の若い母親の話だった▼あの日、巨大津波が押し寄せてくることを知り、逃げようと赤ちゃんを抱いて戸を開け、その瞬間波に巻き込まれ、脇に抱えた赤ちゃんは波にさらわれて行った。母の記憶に、自分の身体から離れて行く赤ちゃんの感触が、いつまでも残った。一年、そしてまた一年、時間は過ぎても母にとって、時間は一秒たりとも過ぎていない▼知人のメールによると、その母親は盛岡に来て「納棺師」になったという。その仕事は、死者のために、旅立ちの装束を整えたり化粧を施したりするものだ。母親は、それを終生の仕事に選び、日々を過ごしているという▼その仕事をしながら、母は津波に消えた娘を、同時に送り出しているのかもしれない。あるいは、これから長い人生が待ってるはずだった娘の、何も経験しないうちに奪われた命を思っているのだろうか。口紅を塗ってあげることも出来ず、脇をスリ抜けて行った娘のことを思い続けるのだろうか。納棺師という仕事が、この母にとって救いであることを祈りたい。