←前へ ↑一覧へ 次へ→

デスク記事

2013/04/14

 太平洋戦争の末期、昭和19年から20年の3月から5月下旬まで、東京は5回に渡る大空襲を受けた。19年7月にサイパンなどマリアナ諸島をアメリカが制圧し、B│29による本土爆撃が可能になった。以降大小合わせて106回の爆撃となったが、この5回が特に被害が大きく、東京は焼け野原になった▼こんな悲惨な体験は、世界の国々で2度と有ってはならない。また戦後の日本の復興、経済成長は世界の驚嘆の的となった。日本のみならず、世界は確実に進化し、全体としては人々の暮らしは大きく変わった▼それと並行して行われているのが、軍拡。大国による核装備が大規模化し、それが次第に各国に広がって行った。国民が飢えても、核、ミサイルの開発、保持に懸命になった北朝鮮、さらに国際テロ組織への拡大まで懸念されている▼北朝鮮のミサイルによる核攻撃は、アメリカ、韓国、そして日本を名指し。その挑発は過去にない激しいものだ。それが瀬戸際外交によるただの挑発なのか、それとも本気なのか、確実な所は分からない。いずれにしても、核を持った国が一方的に他国に照準を向ける事は狂気の沙汰と言える▼核の怖ろしさ、悲惨さは日本人が一番良く知る。世界はそれに学び、核を持ったからこそ、それが使えない兵器であることも学んだ。しかし世界中の国に核が存在するようになると、そのことに怯え、また脅(おど)し、外交の手段となる。北朝鮮のみならず、世界は核による脅威の時代に在り、人間のおろかさが露呈している。暴走しないよう、今ほど人間の知恵が求められるときはない。