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デスク記事

2013/04/25

 正常と異常の違いは何なのか。一見異常と思われることも、突き詰めて行けば、それなりの理論があって、正常に近づく。反対に、常識的と思われることも、良く考えれば少しずつ綻(ほころ)びが目立ち、どうも正常とは言えないこともある。人は、正常と異常の間を行ったり来たりしているのだろう▼歴史あるボストン・マラソンでの爆弾テロ事件。容疑者のツァルナエフ兄弟のうち、弟は事件後もサッカー仲間とパーティーを楽しみ、ジムで運動もしていた。彼の周囲からは「事件と彼は結び付かない」と一様に驚きの声が上がっている▼大学生活を送る正常な彼と、かたわら銃器や爆弾を用意する異常な彼が、同時進行で日常の中で同居する。その間に在る境目には、どれ程の厚さがあるのだろうか。行き来しているうちに、正常と異常が一緒になり、身勝手な理屈が先行し、爆弾テロが正義の行動に姿を変えてゆく▼事件そのものは特異なことだが、この兄弟は果たして特殊な人間だったのだろうか。外国に例を探すことなく、日本の日常でも、異常行動の末に無差別の死傷事件が後を絶たない。いつ何時、隣にいる人が訳もなく刃物を振りかざし、何の関係もない人に向かってくるか分からない▼世間の評判が良く、優秀と言われた人物が突然姿を変え、信じられない行動に出る。その正常と異常の境目はどこにあるのだろうか。もしかして、それは非常に薄いもので、いつどっちに転ぶか分からないものかも知れない。ボストンの悲劇は、決して遠いものではなく、我々の身近に存在するものと言えよう。