デスク記事
「待つ」ことの少ない世の中になっている。手の平に収まる携帯電話、スマートフォンが個人を世界と結び、インターネットからは、あらゆる情報を瞬時に得ることが出来る。以前は考えられなかった事が、今は当たり前の日常になっている。とても便利だが、欲するものが待つことなく手に入る環境に、一抹の味気なさを感じる▼テレビから、さだまさしの「舞姫」の声が流れてきた。踊りながら恋人をいつまでも待ち続ける│という内容の歌詞だが、その中に「待つことを止めてしまった時、恋は死んでしまう」という言葉がある。一途に待ち続ける舞姫の切ない心と、甘味さが伝わってくる▼こんな便利で早い通信手段がなかった時代、恋人たちは相手への想いを手紙に託し、返事を待つときめきを共有した。時にはもどかしさ≠感じたのも、その間を行き交う絶対的な時間があったからだ。「待つ」ことは情緒を産み出す役目も果たしていた▼しかし今≠ヘ、声も写真も、文字も、思うがままに、待つことなく即座に伝わる。あれこれ思いをめぐらす事もなく、互いの意志は素早く双方を行き交う。即物的に過ぎる│と思うのは、古い時代に属する人間だからだろうか。「待つ」という時間の層の中に、幾重にも織り込まれた心のヒダが有るように思えるのだ▼良く「文明は距離と時間を短縮した」と言われる。しかし時間には経過というものがある。経過を省略し、あるいは圧縮してしまえば、色彩豊かな物事の移ろいを見過ごしてしまう。しかも時代はさらに、待つことのない、ある種無味乾燥な状況を作って行く。