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風紋記事

2013/08/07

 港まつりで北都プロレスを観た。謎の覆面選手に子どもたちの声援が飛び、顔や体にペイントを施した怪奇派レスラーにどよめきが起こった。突然の場外乱闘に、観客は楽しそうに逃げ惑った。なんという、うさんくささ。なんという場末(ばすえ)感。これがプロレスの、いや、まつりの醍醐味だろう▼そういえば、かつての港まつりはもっと強烈な「いかがわしさ」に満ちていた。今では差別だと言われかねない見世物小屋が不穏な空気をあたりに撒き散らしていた。軽妙な語り口の啖呵売(たんかばい)が、バナナや万能調理カッター、はたまた大黒様の置物まで売る、その大雑把さに呆れた。義足に色眼鏡の傷痍軍人が演奏する下手くそなアコーディオンとハーモニカの音色は、悲しげというより、凄みがあった▼唐十郎の「紅テント」芝居のような妖しさが、あの当時のまつりでは現実にそのままあった。まつりには凶暴なまでのカオスが渦巻いていて、その非日常のエネルギーが人をひきつけて止まなかった▼転じて今のまつりはよくも悪くも健全である。明るく楽しく、会場のどこにもまんべんなく陽が当たっている。それが今という時代なのだろう▼来年は60回の節目を迎える港まつり。関係者らは何か記念になることをやりたいという。観光協会の出塚容啓会長は「楽しいだけのフェスティバルではなく、昔みたいな本物の『まつり』をやりたい」と話す。その意気込みに深くうなずいた。今という時代の豊かさと健全さを尊重しつつ、少しばかりのカオスを付け加えた、まつり。来年が楽しみだ。(桑原)