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風紋記事

2013/08/21

 哲学者ヘーゲルの主著「精神現象学」のなかに「主奴論」という一節がある。主人は奴隷に命令し、仕事をさせる。しだいに奴隷は仕事に熟練し、労働の面白さを知る。己を捨て去ることによってしか分からない人生の価値に目覚める。奴隷の人生はますます充実する。一方、主人は額に汗することを忘れ、虚栄を求め、その人生はますます空虚になる。主奴の関係において、本当に有意義な人生の主役を演じているのはむしろ奴隷である、という説だ▼ヘーゲルの真意は奴隷制度の礼賛にあるのではない。対立する主従の関係を表面的に捉えただけでは真実は分からない、突き詰めていくと、むしろ逆の関係がたち現れるということだ▼主奴論を敷衍(ふえん)すれば、経営者と従業員の関係にもあてはまる。もっと言えば市長と市民の関係にさえ似ている▼市長はまちのリーダーであり、このまちが向かうべき方向を指し示し、市民に協力と主体的な参加を求める。主従でいえば従に見える市民だが、市民は自ら汗を流して主の示す方向に進んでいくことで、共同体の一員としての自覚を深める。同時に自身の人生を有意義にさせ、主を凌駕していく。そんな協働こそが、市民参加のまちづくりの醍醐味だろう▼旧駅前通りで行われた紋別観光盆踊り。毎年のことながら仮装に凝り、素踊りに磨きをかける市民らの創意と、それを支える実行委の努力に感心する。それは「従」ではなく、まちづくりの「主」の姿だった。この市民のエネルギーをもっと広げたい。(桑原)