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風紋記事

2013/10/30

 たまたま見たテレビで国の重要文化財建築「住友活機園」が紹介されていた。滋賀県大津市の丘に住友の経営トップ2代総理事・伊庭貞剛が終の棲家として建て、58歳で引退した明治37年から亡くなる大正15年まで住んだ。今は住友林業が所有し、住友グループ社員らが住友の事業精神を学ぶ研修所になっている▼広大で自然な庭に佇む和館と洋館は銘木が惜しみなく使われている。名工の技が冴えるが華美にならず清楚でさりげない本物の美に魅せられる。庭の木々は伊庭が土地を求めた17年前から休みをみつけては苗木を植えていったものだという▼住友は3大財閥の1つでルーツは400年前にも遡る。飛躍をもたらしたのは四国別子銅山だが、明治26年製錬所から出る亜硫酸ガスによる煙害で別子の山々が荒廃する事態が沸き起こった。翌年伊庭は請われて別子支配人となった。「別子の山を荒蕪(こうぶ)するにまかしておくことは天地の大道に背く」と精錬所を無人島に移し、別子の山々に毎年100万本以上を植林した▼意志を継いだ3代総理事・鈴木馬左也は大正6年紋別の鴻之舞金山を買収。同じ年「鉱山は国土を損する仕事故、国土を護ってゆく仕事をする必要がある。云ひ換ふれば、罪滅ぼしの為に…それには山林事業が最も適当」と全国で森づくりを始めた。鴻之舞鉱山は昭和48年閉山となったが、そこには広大な住友の森が残され今の緑の循環森林認証につながっている▼住友が紋別と縁をつないでおよそ1世紀。住友林業が再び紋別で間伐材利用のバイオマス発電所を建設する。「事業発展のみではなく、社会の発展への貢献を」という住友の事業精神の具現が紋別の活性化につながることに期待したい。(新沼)