風紋記事
菩薩(ぼさつ)とは仏(ほとけ)の次の位にあり、仏と同じくらい悟りを得ているにもかかわらず、あえて矛盾に満ちたこの世に現れて、困った人々を助ける存在だと言われる▼ありがたい話だが、なぜ仏が直接、我々を助けないで菩薩に仕事を託すのか。キリスト教も同じだ。神が直接、人々を救わないで、神の子であるキリストにその仕事を任せ、磔(はりつけ)にまでさせたのはなぜか。絶対的存在と我々の間に媒介項ともいうべき、菩薩やキリストをわざわざ置くことにどんな意味があるのか▼科学でも媒介項は重要な役割を果たす。川の流れのエネルギーは、そのままでは自由に使えないが、媒介項として水車を置けば、そのエネルギーは人間が自由に使え、利用のバリエーションは無限に広がる▼草花の美しい色は、そのままでは人間は使えないが、触媒を使えば衣類に色を染めることができる。その色は、元の草花の色よりもっと美しくなる。「青は藍より出でて藍より青し」ということわざに込められた真の意味は、媒介項を通すことによって、元のものが持つ力が何倍にも強化・増幅される不思議を説いたことにあるのだろう▼さて、庶民を救ってくれる媒介項としての菩薩やキリストは、現世での存在で言えば政治家のことを指すのかも知れない。市長や市議が菩薩という媒介者なら、紋別市が本来持つエネルギーを、政治の力で何倍も強化・増幅してくれる存在だろう。来年は市議選がある。菩薩として、拝みたくなるような市議がいっぱい生まれることに期待したい。(桑原)