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風紋記事

2013/12/01

 落語の用語で「あの噺家はフラがある」という褒め方がある。天然の可笑しさ、そこにいるだけで、くすりとさせるような面白さがある場合に言う。「フラ」がある落語家の典型は名人・古今亭志ん生。誰もが認めるところだろう▼意外なことに春風亭柳昇(りゅうしょう)を挙げる人も多い。「大きなことを言うようですが、春風亭柳昇と言えば、いまやわが国では私一人でありまして」というワンパターンの口上で知られた。子どもの頃、この人がテレビに出てくるだけで可笑しくてたまらなかった。新作落語ばかりやり、その漫談風の語りは、いわゆる名人らしい風格に欠けるように見えたが、今聴き直せば、昭和の大名人に違いない▼志ん生や柳昇の喋りの特長は概して滑舌(かつぜつ)が悪く、ろれつが回っていない場面が多々あるところだ。噺家としては致命的だし、危なっかしいことこの上ない。しかし、だからなのか、引きこまれる▼「フラ」の味わいを数値化することは難しいが、いわゆる正調のなかに、3割程度の乱調が混じっているところではないか▼3期目に入っている宮川市長も独特の「フラ」を身に付けつつあるように見える。そこにいるだけで、物事を動かす気配を感じさせる政治家としての「フラ」を、だ。就任以来、職員の横領事件や百条委員会の調査があったり、道立紋別病院の移管交渉が難航するなど波乱続きで、危なっかしいように見えるが、終わってみればそれなりに解決しているというところもまた「フラ」っぽい。その「フラ」が今後どういう円熟の味わいを出していくか見守りたい。(桑原)