風紋記事
ほとんど同じ状態を指している2つの言葉が、一方はいい意味で、他方は悪い意味で使われる例は数多い。倹約家とケチ、真面目と堅物、世話好きとおせっかい…。たとえば「倹約家」は無駄なものにはお金を使わないしっかり者を指すが、倹約の度が過ぎて、使うべき時にお金を惜しむと「ケチ」になる。両者はほとんど似た状態を表しているにもかかわらず、ちょっとした度合いの変化で意味がプラスにもマイナスにも変わる▼水を熱すると沸点で気体に、冷やすと氷点で氷になるように、物事のある状態には変化の飛躍点というものがあって、そこを飛び越えた瞬間、劇的に性質が変わるようだ▼世話好きで面倒見のいい人という評価が、ある一線を越えた途端、おせっかいで、なれなれしく無礼なヤツに変わってしまうのも、この飛躍点を境にしてだろう。オセロゲームも、この自然の法則をヒントにして考え出されたのではないか▼対立するものは、全く性質が違うようでいて、実は同じ構成要素で成り立っていて、ただ度合いや量の違いによって2つのものを正反対のように見せかけている例は多い▼人間界で対立するもの同士が変化する飛躍点を見つけ、変化の按配をコントロールする方法を発見したらノーベル賞ものだろう。ただ、馬鹿正直な自然を対象とする場合と違い、ひねくれた人間の意識やその集合体である社会を対象にした場合、飛躍点の確定はきわめて困難だ。もしそれができれば、紛争関係にある民族・国家間の憎悪が飛躍点を境にして、信頼と協調の関係へと劇的に変化することも可能だろうに。(桑原)