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風紋記事

2014/01/25

 太宰治の「走れメロス」。人質に預けた友人を守るため、命をかけて約束を果たそうとするメロスの姿を描いた。後年、太宰の友人で作家の森敦が、メロス創作のもととなった太宰の実体験を紹介している▼若き日の太宰はある日、壇一雄を誘い、熱海の旅館でどんちゃん騒ぎをした。翌日、精算する段になって太宰は金が足りないことに気づく。太宰は壇を人質に置いて、金の工面に東京へ行った。しかしついに戻らなかった。壇は宿の主人に謝り、支払いを約束して宿を出た。必死に太宰を探し、ついに見つける。太宰は東京の井伏鱒二の家で将棋の相手をしていた▼壇は腹を立て、友人の森をキャバレーに連れ出し大いに愚痴った。森によれば、しかし壇は酔うほどに太宰の文学の才能を称え続けたという。森は言う。友を最後まで信じたメロスは壇一雄の方だと▼壇も太宰も共に無頼派で破滅型の作家として鳴らしたが、今も圧倒的多くの読者に読まれているのは太宰の方である。善人よりも裏切り者、卑怯者の方が後世に残る傑作をものにするというのは文学の不思議だろう▼親鸞は「善人でさえも往生できるのだから、悪人が往生できるのはもちろんである」と妙なことを説き、今でもその解釈は分かれる。メロスの裏話に重ねるなら、悪人のほうが人間の弱さも意気地なさも知り、苦に満ちたこの世の絶望を深く感じているから、建前の綺麗ごとで生きている善人よりも往生できるのだろう。往生するとは文学の世界で言えば傑作を残すことである。善より悪が高い位置にあるとは難儀な話ではあるが。(桑原)