風紋記事
宇宙の始まりはビッグバンという爆発だったという。だがそれ以前は何があったのか。科学者は無だという。ではなぜ無から有が生まれたのか。科学はその問いに答えない▼そもそも無とは何だろう。いや「無は本当に有るのか」。そう問い直してみると、妙なことに気づく。無が「有る」としたら、それはもはや無ではなく有だろう▼哲学者ヘーゲルはその著「大論理学」で、この有と無の対立を全ての始まりに置いた。有と無は互いを前提しあっている。有を考えれば無を念頭に置いていることに気づき、無を考えた途端に有に成る。互いが行ったり来たり運動する状態から「生成」という次の段階が生まれる。生成は何物かに成ることだから次に安定した「存在」が生まれる。こうした論法でヘーゲルは物事が自力で次々と発展し絶対的な境地へ高まっていく神秘的論理学を打ち立てた。それは手品のような言葉遊びで、ペテンだという罵声も浴びせられた▼マルクスはヘーゲルを批判する一方、その論法に途方もない破壊力があることを見抜いた。この理屈を下敷きにして資本主義のビッグバンから没落までの道を説いたのが「資本論」である▼160キロの速球を投げる能力は日常生活では無価値だが、資本主義の市場に投げ込むと160億円の契約金に化ける。ビッグバンから生まれた宇宙は膨張し続けているらしいが、資本主義もまた巨大化が止まらない▼宇宙も社会も、その始まりに有と無の対立があったとすれば、無は有に化けるが、有はまた無に転落する危険性もある。マルクスはその兆候を恐慌と名付けたが。(桑原)