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風紋記事

2014/02/02

 素晴らしい芸術作品は鑑賞するたびに新たな発見がある。1冊の本や1編の映画、1個の茶碗。それらは、繰り返し鑑賞したり使ったりするほどに味わいが増し、そのたびに表情が変わる。あまりに多くのことを語り出すので怖くなる時さえある▼モノのほうが変わっているわけではない。日々の「自分」の思いが変化しているから、ただ印象が異なるだけかもしれない▼いや、そうだろうか。自分だけでなく、モノのほうも変化しているのではないか。もちろん同じ小説のストーリーが勝手に違ってきたり、茶碗の色や形が変わったりするわけではない。だが愛着の度合いによってモノ自体がその本質を現していく。それはモノ自体の発展ではないだろうか▼科学者がさまざまな実験で自然に「思い」をぶつければ、自然はこれまで隠していた法則や真実を開示するだろう。今まで黙っていたモノ(自然)が、人間の働きかけによって重い口を開き始めたのだからモノ自身の態度の変化に違いない▼刺激を加えるだけで万能細胞になるというSTAP細胞。科学の常識を覆す快挙だという。素人が大自然に質問しても、新たな法則を教えてくれるわけではない。科学者の努力だけが成し遂げえた▼だが、我々大衆もまたスケールは小さいが、1編の小説や1個の茶碗にさまざな思いをぶつけ、彼らに真実を語らせることはできる。人工物の小説や茶碗と、大自然は同列に並べられないなんてことはない。あの手この手で対象に働きかけ、対象自身に口を割らせるという手法は自然科学の研究でも芸術の鑑賞でも同じである。(桑原)