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風紋記事

2014/02/07

 奉仕やボランティアとは見返りを求めず、純粋に人のためにやるものだという。だが、その言い方はどこか禁欲的で堅苦しい。「見返り」を前提しながらそれを「考えるな」と無理なことを言う▼詩人の中原中也は長男を失い人生に絶望した時「春日狂想」という詩を書いた。曰く、愛する者が死んだ時は自殺しなければならない。でも業が深くて生きながらえることになったら奉仕の心を持ちなさい、と。以前より人に丁寧に、飴売りのじじいと仲良くし、ハトに豆などやり…と▼愛する者を失った悲しみから脱することの一つの道は死。もう一つは愛する者が生きたこの世界を認めること。だが、中也の受け入れ方はあきらめの果ての狂気にも似ている。純粋で、空虚で、それゆえ見返りなどもともとない▼開会前の流氷まつり会場で女性団体・国際ソロプチミスト紋別の会員による「うどんの差し入れ」の奉仕活動を取材した。実業界で活躍する女性達が、氷像製作者らの労をねぎらおうと30年以上続けている。無論、そこに中也のような空虚さはない▼うどんをご馳走になりながら思った。女性という立場で事業を切り盛りする苦労は想像以上だろう。人を使い、人に頼りにされ、人に裏切られ、絶望したこともあるだろう。でもだからこそ奉仕を続けているのではないか。まつり会場は他にもボランティアでいっぱいである▼悩みを抱え、人生を時に恨めしく思いながらも、この世界と和解するために人は人のために何かやりたいと願うのかもしれない。だとしたら奉仕とは「祈り」に近い行為ではないだろうか。(桑原)