風紋記事
第52回もんべつ流氷まつりのメーンイベント、ホワイトステージにお笑いコンビのアンガールズが登場した。テレビで見ても特異なキャラクターであるが、芸という程のものは感じられず笑えない。正直集客効果があるのか心配した。だが予想外の人出となった。開演前、海洋公園に至る道路には車が連なり、冬にこんな渋滞は経験がない。さらにステージ前を陣取ったのは子供たち。その多さにまた驚いた。会場ではアンガールズと子供たちとのかけあいが続いた▼流氷まつりは地元の画家、田中峰雲の提唱で昭和38年に、雄大な流氷を観光客に売り出し、長い冬眠生活でふさぎがちな市民の心を癒そうと始まった。田中は美術学校卒業後、魅(ひ)かれるままに釧路、帯広、旭川、洞爺、日高など道内を放浪し、昭和37年、48歳で生まれ故郷紋別に戻ってきた。戻ったばかりの者からの発案、しかも人々に「冬眠」を余儀なくさせるやっかいものの流氷を賛美する催しに多くの人は否定的だった▼田中は子供たちを集め、商店に呼び掛け前浜にウサギとクマの雪像と白クマと白鳥の氷像をつくり、タコあげ、犬ゾリを企画。田中自らアツシ織の衣裳をまとって火祭り踊りも行い、2日間で1万人を集めた。以降、まつりは巨大化していくが田中は船みこしなどの子供行事を続けた▼流氷まつりは子供たちの熱狂が支えそれが背中を押すように大人たちを会場に向かわせ賑わいを生む。このところステージはほぼ演歌系の歌謡ショーだったが、子供たちに視線を向けたアンガールズのステージはまつりの原点を感じさせるものだった。(新沼)