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風紋記事

2014/05/21

 東京で編集業務に携わっていた若い頃、あるプロレス団体のファンクラブの会報を担当した。所属選手の多くは猪木門下生だが、ショー的要素を強めていた当時のプロレスに反旗を翻して独立し、ガチンコのプロレスを標榜していた▼会報の企画で、その団体のファンであるミュージシャンを道場に招き、ちゃんこ鍋をごちそうするという特集を組むことになった▼ミュージシャンもレスラーも気さくで、道場で鍋をつつきながら打ち解けた会話が続いた。ところがミュージシャンが「皆さんの団体は素晴らしいが、他のプロレスはショー」と言い始め、流血のタネ明かしなるものを披露しだした▼場の空気は一変した。看板レスラーの一人が隣にいた若手に「お前知ってるか」と聞き、若手は「知りません」とうつむいた。それっきり、レスラーらは一言も発しなくなった。本当に一言もだ。タブーに触れたからである。プロレス業界では、自分達の舞台裏を部外者に決して明かしてはならないという掟がある。ミュージシャンは、あくまで他の団体のことを言ったのだが、通用しなかった▼取材は気まずい雰囲気のまま終わった。今でこそ、プロレスの暴露本が多く出版され、プロレスは一種の芸能として割り切って楽しむものという見方が主流になっている。当時はそこまで開けていなかったが、仮に開けていたとしても、本人たちの前で口にしていいことと悪いことはある。人と接する時の距離感というのは難しい。距離を開けすぎると打ち解けられないが、踏み込みすぎるとケガをする。(桑原)