←前へ ↑一覧へ 次へ→

風紋記事

2014/06/13

 合気道のルーツといわれる大東流合気柔術。その達人・武田惣角は明治初期、武芸の見世物で稼いでいた。ある日、熊本の往来で手裏剣を投げて的に当てていた時のことである。手足の不自由な男が話しかけてきた。「尖ったものを投げて当たるのは当然だろ」。惣角が怒ると、男は小銭を取り出して的に投げつけた。小銭の丸い縁が板の的に突き刺さった。男が再び投げる。今度は小銭が板に向かって平らに当たり、円の形でめり込んだ。「抜いてみぃ」。抜けない▼その後、弟子入りしようと男を捜したが、誰も知らない。晩年、惣角は湧別町で武芸を教えた際「あれはワシの慢心を戒めるために神様がからかったのだろう」と回想したという。惣角は修練の末、壁を通り抜ける神通力をも得たと言われる▼政治家の石原慎太郎は若い頃、外車トライアンフを飛ばすスピード狂だった。ある時、公道でタクシーにレースを仕掛けられた。接戦の末、勝利したが、しばらくするとまた追いついてきた。運転手は併走しながら窓を開け、石原の顔をじっと見つめて、運転の上手さを褒めちぎった。車はUターンして去った。何か変だ。「そうか。あれは、死んだ親爺がオレを戒めに現れたに違いない」。それ以来、石原は無茶な運転をやめたという▼これほどの話ではなくても、誰の人生にも「あれは何だったのか」という出来事はある。それを何かの「啓示」と捉え、反省できるのはその人の才能だろう。天は自ら気づく者にのみ教える。もし自分が惣角や石原だったらどう考えるか。「不思議だ。とりあえず酒でも飲むか」。(桑原)