風紋記事
小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、明治23年に来日した。その時のことを随筆「東洋の第一日目」で綴っている。横浜の外国人居留地を出て人力車を走らせ商店街を巡る。町全体が妖精の国のようだ。手ぬぐいも、箸も、商品を縛る組紐さえも意匠に満ちている。安価な日用品が宝石のような美しさを持つ。ハーンは冷静さを失う。「日本全体をまるごと買ってしまいたい」▼とりわけ魅了されたのは漢字とかなだ。商店の幟、看板、のれん、店員の着る半てん、どこもかしこも文字が躍り、笑ったり怒ったりしている。布に染め抜かれた日本の文字は「生き生きとした絵」だ▼神社の境内に入り鳥居を見た時、ハーンの感動は頂点に達する。鳥居は、空に向かってそびえ立つ、美しい漢字の巨大な模型である…▼市立博物館で生田孝子さんの裂織展を見た。古い丹前や着物を裂いて織ったタペストリーに見とれながら、日本の手ぬぐいや半てんに陶然としたハーンの美意識を思い出した。中島みゆきの曲の歌詞を書にしたためた作品もあった。かなの線がのたうつようにカーブを描く。漢字の鋭角的な「撥ね」が軋み音をたてるが、それは筝が奏でる不協和音のように趣がある。ハーンが日本の文字に感動した思いは、こういうことだったのではないか▼日本初日の夜、ハーンは床で夢を見る。漢字の群れが飛んでいる。漢字たちは「巨大な七節虫」のように体をうごめかせる。漢字の魔力に魅入られたハーンは後年、経文を体中に記した琵琶法師が怨霊と戦う怪談「耳なし芳一」を再話して世界に放つのである。(桑原)