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風紋記事

2014/08/28

 元暴力団組員で牧師の井上薫君が、生まれ故郷の紋別市を訪れた。はまなす通りで食事した。同級生である▼かつては喧嘩屋で覚せい剤常習者。入れ墨、指づめ、組同士の抗争…と彼のヤクザ時代を紹介すれば衝撃的だが、昔から優しいヤツだった▼小学生の時、一度家に遊びに行った記憶がある。家は漁師だった。薫君のお母さんが、おやつを作ってくれた。小麦粉に海草のようなものを混ぜて焼いた、はじめて食べる料理で、ちょっと当惑したが美味かった。ふだん友達の家に遊びに行くと、お菓子やケーキが出たものだが、子ども心に薫君の家が、そう裕福ではないことは分かった。「どう?美味しいかい」と何度も聞く薫君の顔を覚えている▼薫君は中学の時、事件を起こし高校へは進まなかった。その後、札幌へ行ったと噂で聞いた。20代の頃、里帰りして本町を歩いていると全身黒ずくめで、サングラスの男に「おいこら」と因縁をつけられた。男はサングラスを外すと「冗談だよ」と笑った。薫君だった。向こうも里帰りしていたのだ。「札幌で組に入った。何か困ったことがあったら助けてやっから」▼覚せい剤に溺れ、日本刀を振り回していたヤクザ時代、教会に通い出したらニコニコが止まらなくなったと薫君は振り返る▼食事しながら「懐かしい」と目を細める薫君を見て、彼は元に戻っただけなのだと思った。「神のご加護を」と旧友に祈ってくれる彼は、あの「美味しいかい」の彼であり、あの「助けてやっから」の彼である。だが地獄を克服して、元に戻るのはどれほど苦しかったことか。彼はただニコニコするばかりである。(桑原)