風紋記事
落語家・柳家さん喬さんの紋別公演を聴いた。最後にやった噺「百年目」は、堅物で通っている大番頭が実は遊び人で、芸者を引き連れて花見をしているところを店の大旦那に見つかってしまうという筋だ▼クビを覚悟する大番頭だが翌日、大旦那は彼を呼び出し優しく、しかし皮肉を効かせながら諭していく。世間話や思い出話をした後、ついでにといった感じで大旦那が言う。「店の帳簿に穴があいてないか昨日、全部調べさせてもらいました」。サラリと核心に入ってくる、その間合いが、見せ場である▼大旦那は従業員思いだが、もちろん商売に厳しい。かといって、ただ遊びをとがめるわけでもない。時に派手な散財をしてみせて店の格式を保つことや、お得意様相手に遊ぶことの大切さも心得ている。そんな奥行きのある商人像を、さん喬さんは見事に演じて見せた▼人間国宝・桂米朝の「百年目」は上方だけに「あきんど」としての大旦那の凄みが聴く者をぞくりとさせる。名人・古今亭志ん朝のそれは、輪郭のくっきりした人物造形と軽快なテンポ、粋(いき)な雰囲気で一気に聴かせた。対して、さん喬さんのは舞台劇のように観客を引きずり込み、涙まで流させる。重厚さが特徴だろうか▼「ぞくり」か「粋」か「重厚さ」か。様々な芸風の中からどれを選ぶかは人それぞれ。その好みに自分自身そのものが反映されている。「そうか、こんな芸風が好きなオレは、意外とこういう人間ではなかろうか」。好みの噺家を鏡にして、自分自身を再認識する、それもまた落語を聴く楽しさの一つである。(桑原)