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風紋記事

2015/02/05

 漫画家の蛭子能収(えびす・よしかず)さんは「天然キャラ」で有名である。ネットにも蛭子伝説が紹介されている。蛭子さんは葬式で皆が神妙な顔をしているのが可笑しくて、つい笑ってしまうのだという。実の親の葬式でもそうだったというから、これはもう悪気はないのだろう▼そういえば自分も小さい頃、親戚の神前結婚式で神主の厳粛な所作に笑いが止まらなくなり、会場から出された記憶がある。子どもの心で素直に見れば、世の中の常識や決まりごとは奇妙に見えるものだ▼紋別市立博物館で村瀬真治氏の流氷画展が開かれている。流氷は白や青とは限らない、赤だって何色だっていいじゃないか−。そう悟った村瀬氏が恩師に宛てて興奮気味に書いた手紙の一節もパネルで紹介されている。同博物館の小林健一学芸員は「村瀬氏は流氷を通して心の純粋さを描いたのだろう。純粋な心、ではなくて心の純粋さを」と言う▼なるほど「純粋な心」と言うと「不純な心」をとがめる道徳的なニュアンスが含まれる。本来、心には純粋も不純もない。対象を、子どものようにそのまま見る蛭子さんのような天然性こそ村瀬氏が求めた境地だったろうか▼ところで、同じ文字を書き続けていると奇っ怪な象形文字に見えてくる現象を心理学では「ゲシュタルト崩壊」と言う。村瀬氏も流氷を描き続けた末に、流氷という意味形態(ゲシュタルト)が崩壊し、得体の知れない形や色を見たのではないか。そこに現れてくるのは意味を取り去った後の物自体、そして物自体を掴まえる天然の心そのものだったかもしれない。(桑原)