風紋記事
生まれてくる子が男か女かは偶然だが、社会全体でみれば男女がほぼ1対1の比率で生まれてくるのは必然的である。男だけ、女だけと、どちらかに偏れば、社会が存続しなくなるからだ。偶然と必然は反対関係にあるのではなく共存している▼ホリエモンこと堀江貴文はビジネスの重要な要素として、人との出会いを挙げたうえで「有能な人と出会えるかどうかは結局、確率の問題だから普段から努めて多くの人と会うようにしている」と雑誌で言っていた。出会いという偶然を、必然性に変えようとするポジティブな考え方だと感心した▼凡人は仕事でミスすると「単なる勘違い」と偶然のせいにするが、つきつめれば注意力が散漫だったり、体調管理をしていなかったりと悪条件が重なったうえの必然的な結果である。偶然性を装って必然性は発現するのである。と、言ったところで飛行機の墜落事故で亡くなった人の不運はどうするのか。どう考えても偶然であり、必然とは思えない▼だが我々は飛行機の墜落事故を、あってはならないにしても一定程度の発生は「想定内」として処理せざるを得ない社会に生きている。現段階の航空技術では、飛行機事故で死ぬ確率は1年間で、1千万人に1人ぐらいだと言われるから、極めて低い確率ではあるにしても必然性の微弱な『力』は誰に対しても日々刻々と及んでいるのである▼それぞれの事象は偶然に見えても、貫いているのは必然性の糸である。だからと言ってどうなるものでもないが「人生は偶然の悪戯の連続」とため息ばかりつくよりはいくらかマシではないか。(桑原)