風紋記事
私小説家・車谷長吉氏が17日死んだ。最後の文人と言われた変人である。駆け出し時代、有名作家のゴーストライターをやっていたことを平気で書いたり、世話になった編集者のことをぼろくそに書いて裁判沙汰になったりと話題には事欠かなかった。その文章は殺気があった▼朝日新聞に連載された彼の人生相談も話題を呼んだ。「教え子の女子生徒に恋をした」という40代の高校教師の相談には「破綻して、職業も名誉も家庭も失った時、はじめて人間とはなにかということが見える」と言い、その女子生徒と「出来てしまえばよい」と答えた。こういうアドバイスを白昼堂々掲載した新聞も偉いが、「なんて非常識な」などと野暮なことは言わず、文学として読み、味わった読者も偉いと思う。車谷自身どこかで書いていたが、死ぬのが楽しみで仕方がない、という覚悟のある人だった▼もう一人覚悟のある政治家が17日「死んだ」。大阪市長の橋下徹氏。大阪都構想を巡る住民投票で敗れ、政界引退を表明した。政治的な死である▼住民投票の結果は紙一重だった。普通の政治家なら「負けはしたが、この僅差は事実上の勝利である」と言い張り、政治家を続行するだろう。なんせ自民党と共産党が共同戦線を張ったほどの完全包囲網のなか五分の戦いをしたのだから。だが橋下氏は「都構想は間違っていたということになる」と敗北宣言し笑ってみせた。負けて勝つとはこのことだ。多くの政治家は彼の潔さに圧倒されたろう。車谷氏が好んで使った言葉で、橋下氏の心中を表現すれば「ざまぁみやがれ」ということか。(桑原)