風紋記事
子どもの頃、親がお寺さんに伺うというのでついて行った。なんの用事かは忘れたが、親は寺の住職と話をしていた。子どもはかしこまって座っているだけである。目の前の菓子盆には栗饅頭が置かれていた。美味そうだ。勝手に食べていいのか。でも子どもはそこまで心臓は強くない▼すると住職は「食べていいからね。さぁ」と差し出してくれた。饅頭は美味かったが、それよりも子どもの心をすぐに察する気配りに驚いた▼その住職、圓満寺の故橘薫一氏の貴重な資料を集めた展覧会を市立博物館で見た。大手出版社で編集者として活躍した橘氏が持っていた江戸川乱歩ら有名作家の原稿を展示している。大学の恩師で著名な倫理学者だった中島徳蔵氏の思い出を綴った橘氏の文章が目に留まった▼関東大震災で被災したが、先生の家は大丈夫かと訪ねて行った。先生は無事で、逆に慰められパンをもらう。下宿に戻るとすでに焼け落ちていた。壊れた水道栓から水を飲んで、泣きながらかじったパンの味は、だが美味かった。回想は続く▼橘氏は社会人になっても毎年、元旦に中島先生宅へ挨拶に行った。家庭の味に飢えていた橘氏は、奥さんが腕によりをかけたお吸い物を「がぶがぶ」と飲んで笑われる。大学で印度哲学を学び、仏教とカント哲学との融合を構想したと回想する橘氏の文章は悠揚迫らぬ風格と茶目っ気が同居している▼そうか。栗饅頭を前にした子どもの気持ちを察した住職の気配りの向こう側には、あのパンやお吸い物が原体験としてあったかもしれない。そう思うと住職が少し身近に思えた。(桑原)